少し前のことになりますが、横浜小鳥の病院院長の海老沢先生がX(旧Twitter)で、「鳥の幸せとは何か?」ということについてお話していました。
そのツイートを読んで、とても納得したんですよね。
心理学者のマズローの説を用いるあたり説得力もさすがですし、とても分かりやすかったです。
海老沢先生のそのツイートを下に貼っておきます。
海老沢先生の考える「鳥の幸せとは何か?」の答えに興味がある方は、ぜひご覧になってみてください。
さて、この先生のツイートに影響されて、私も「鳥さんの幸せとは何か」について考えてみようと思いました。
ということで今回は、「鳥さんの幸せとは?」という問いに対する私なりの考えをお話しようと思います。
「鳥さんの幸せとは何か」を考えるにあたって、私は「自分が鳥さんの立場だったらどうだろう?」と考えてみることにしました。
というのも、ここのブログで私がよく口にしますが、「鳥さんと人間はおんなじ」だと思うからです。
いろいろな鳥さんの行動を見るたびに、「鳥さんって本当に人間とおんなじだな」と思うのです。
だとすれば、「自分が鳥さんの立場になったら…」と想像することで、鳥さんが何を幸せと感じるのかが分かるんじゃないかと思ったのです。
というわけで、こんなことを想像してみてください。
ある日、散歩していると、急に頭上にUFOが現れました。
UFOからまぶしい光が降り注いだ!?……と思ったら、気づいたときにはまったく知らない部屋にいました。
どうやら宇宙人にさらわれてしまったようです。
部屋の扉には鍵がかけられていて外に出ることはできません。
はめ込み式の窓から部屋の外を見ることはできます。
宇宙人らしき人(?)が生活している様子が見えます。
部屋は快適な温度に保たれています。
フカフカで気持ちのよいベッドもあります。
遊び道具もあったりして暇なときは遊ぶこともできます。
ご飯は決まった時間に宇宙人が差し入れしてくれます。
元の世界にいた頃のご飯とはまったく違うし、特別美味しいというわけでもありません。
でも、元気は出るし体調的には問題なさそうです。
部屋の外にいる宇宙人は、たまに窓のところに来てくれます。
宇宙語(?)で私に話しかけますが、何を言っているのかは分かりません。
でも、怒っている感じや攻撃的な感じはなく、なんとなく優しく語り掛けている感じではあります。
1日に2回ほど、宇宙人は扉を開けてくれて、部屋の外に出ることが許されます。
最初のうちは部屋の外に出るのが怖くて、開いている扉を無視して部屋の隅でジッとしていました。
でも、そこでの生活に徐々に慣れ、宇宙人が危害を加えてくることがなさそうと分かったので、勇気を出して部屋の外に出てみました。
すると、宇宙人はとても喜んで、私に普段のご飯とは違う美味しいおやつを用意してくれました。
今では部屋に出ることに抵抗がないどころか、部屋から出て気分転換ができるその時間がとても楽しみになっています。
たまにふと以前の生活のことを思い出して、「元の生活に戻りたい…」と思うことがあります。
宇宙人にそのことを話してみたりしますが、当然のことながら、相手はこちらの言っている言葉を理解できません。
日に2回、部屋から出ることはできても、この家(?)の外に出ることはできないようです。
というか、もし宇宙人の目を盗んでこの家から脱出できたとして、元の世界に戻る方法が分かりません。
それ以前に、一緒に暮らしている宇宙人の力なしでは毎日を生き抜いていくことすらできない気がします。
この家でここの宇宙人のお世話になっていれば、何不自由なく生活することはできます。
食べ物にも、寝るところにも、日中の時間を過ごすにも、困ることはありません。
元の世界に戻ることはできないけど、この部屋にいれば自分の命は守られ、安定した生活が送れる気がします。
どうですか?
かなりSFチックなお話でしたが、鳥さんが置かれている状況ってこんな感じなんじゃないかと思います。
もし、みなさんがこういう状況に置かれたら、どう思われるでしょうか。
自分の命が守られて何不自由なく過ごせる環境は、間違いなく恵まれていると思います。
一方で、どうにも帰れないと分かっていても、やっぱり心の片隅に「元の世界への恋しさ」みたいな気持ちはあると思います。
今の生活を受け入れようという考えと、元の生活に戻りたいという気持ちとの間で、心は揺れ動くと思います。
そんな中、どうあれば「元の世界は恋しいけど、ここの生活も悪くないかも」と、今いる状況を受け入れられるでしょうか。
私にとって、そう思えるようになるための条件は、「自分の気持ちに寄り添ってくれる絶対的な味方がいること」でした。
本来自分がいる世界とは異なる、いわば「アウェイ」な環境。
自分のことを理解してくれる相手がいないひとりぼっちな状態。
そんな中、自分の気持ちを感じ取って必ず味方でいてくれる存在というのは、とても大きいと思うんです。
自分が「寂しい」と思ったときに、そばにいてくれる。
自分が「何か食べたい」と思ったときに、ちょっとだけおやつをくれる。
自分が「遊びたい」と思ったときに、少しだけでも相手をしてくれる。
自分が「怖い」と思ったときに、近くに来て守ってくれる。
自分が「楽しい」と思ったときに、一緒に笑ってくれる。
自分が「困った」と思ったときに、手伝ったり助けてくれたりする。
言葉が通じなくて、100%の気持ちの疎通はできない。
それでも、何となく気持ちを察してくれて、自分のために何かしてくれる。
たまにこちらの気持ちが伝わらないこともある。
それでも、一生懸命にこちらのことを理解しようとしてくれる。
そういった存在がいることって、何よりも大きい幸せな気がするんです。
そして、「この人がいるから楽しい」、「この人がいるからここの生活も捨てたもんじゃない」と思えるようになるんじゃないかと思うのです。
こんな考えをするようになってから、私の鳥共に対する態度は少し変わった気がします。
これまでは、心の片隅に「こんなケージに閉じ込めちゃってごめんね」とか、「本来の世界で気持ちよく飛び回っている方が幸せだったのかな…」なんて思うことがよくありました。
今でもその気持ちが全くなくなったわけではありません。
でも今では、「本来の世界にいるときより、今の方が幸せって思うようにしてみせるからね!」という気持ちが強くなりました。
そして、少しでも鳥共の気持ちを理解して寄り添えるように、鳥共の様子や表情、態度をより気にするようになったと思います。
というわけで、私の考える鳥さんの幸せは、「自分の気持ちに寄り添ってくれる飼い主さんがいること」だと思いました。
そこから、鳥さんが幸せでいるためには、鳥さんの気持ちに寄り添って、いつも鳥さんの味方でいることが大事なんじゃないかと感じました。
みなさんはどうお考えですか?
仕事をする必要がなく遊んでいるだけで食べていける生活を幸せと思う方もいらっしゃるでしょう。
自分の身の安全が約束された快適な環境にいられればそれで十分幸せと思う方もいらっしゃるかもしれません。
飼い主さんにいろいろな考え方があるように、鳥さんにもいろいろな考え方や過ごし方の好みがあると思います。
多分どんな考えも間違いではないと思います。
というか、「どうしたらうちの鳥さんは幸せに思ってくれるだろうか」と、飼い主さんが真剣に考えてくれるだけで、鳥さんは幸せを感じているかもしれません。
先ほどの妄想の世界に自分を当てはめてみて、「鳥さんの幸せとは何か?」を考えるきっかけにしてもらえたら幸いです。
※音声が出ますのでご注意ください
もしよかったら、今回のブログを読んでの感想をお寄せください。