「うちの鳥さん、カキカキさせてくれないんです。
カキカキって気持ちいいと思うのですが、
うちの鳥さんはそれに気付いてない感じなんです。
で、カキカキが気持ちいいことを知ってもらうために、
無理やり抱っこしてカキカキするのってどうなんですかね?」
以前、こんな質問をもらったことがあります。
そのときはとっさにいい答えが思い浮かばなくて、「うーーん、あんまりよくない気がするなぁ」くらいしか答えられなかったんです。
そのときのことをふと思い出しまして、今だったらなんて答えるだろうかと考えてみました。
そして、現時点での私の考えが出たので、今回はそのお話をしようかと思います。
考えるときのヒントとしては、やっぱりいつもお話している通り「鳥さんと人間はおんなじ」なんです。
どういうことかお話していきますね。
「君、肩凝ってそうだね。揉んであげるよ」
そんな風に見ず知らずの人に言われたら、皆さんはどう思いますか?
「いえ、結構です」といった反応すらしないで、逃げるように立ち去る人がほとんどじゃないかと思います。
断ることができず半強制的に肩を揉まれたとして、その体験から「あぁ、肩を揉まれるのって気持ちいい♪」というポジティブな記憶として残ることがあるでしょうか。
いや、ないと思います(反語的表現)。
その体験をきっかけに、肩を揉まれるたびにそのときの嫌なイメージを思い出すような、軽いトラウマになってしまうようなこともありえるんじゃないかと思います。
では、全くの見ず知らずの人ではなくある程度顔見知りではあるけど、そこまで気を許してないレベルの人に言われたとしたらどうでしょうか?
その場合もやっぱり心の底から手放しで「気持ちいい♪」とは思えないんじゃないかと思います。
見ず知らずの人にされたときと比べれば、嫌と感じる程度は少ないと思います。
でも、心のどこかで、(うん…気持ちいいにはいいけど、なんか、心から喜べない…)って思うんじゃないでしょうか。
きっと、鳥さんも同じようなことを思っている気がするんです。
カキカキは鳥さんにとって気持ちのいいことだと思います。
でも、問題は誰にカキカキしてもらうかということだと思うんです。
先ほどの肩揉みの例と同じで、心許していない人からカキカキされても、それは気持ちよくないどころか、下手したらただの恐怖体験で終わってしまう可能性もあると思うのです。
逆に、心を許している人であれば、カキカキだろうがナデナデだろうが、何なら何もしないてただ寄り添っているだけでも、鳥さんは幸福感に満たされるんじゃないかと思います。
私もオオハナインコの花ちゃんをお迎えしたときに、まったく触ることができない花ちゃんを見て、「この子をカキカキすることができる未来は来るんだろうか…?」と不安に思ったものです。
私も、冒頭の質問をされた方と同じように、「カキカキの気持ちよさを知ってもらえれば、カキカキに目覚めるのでは?」と思った時期もありました。
花ちゃんの場合、手を近づけることがまったくできなかったので、カキカキの気持ちよさに目覚めさせるどころの話ではなかったわけですが。
でも気がつけば、今は花ちゃんにカキカキすることができます。
今のような関係になるまでに私がしたことは、半強制的なカキカキではありません。
ただただ花ちゃんに信用してもらえる人になれるよう、日々優しく接していただけです。
手が近づくのを嫌がるようであれば、手を近づけない。
頭を触られるのが気に食わない日は、無理に頭を触らない。
ただそれだけです。
一見、カキカキ好きになってもらえることに関係なく見える行動です。
でも、「カキカキは気を許した人にしてもらいたい」という鳥さんの気持ちを考えれば、直接カキカキに繋がらない行動であってもそれが最終的にはカキカキに繋がるということが納得できるんじゃないかなと思います。
「急がば回れ」ではありませんが、焦ってカキカキへの近道を選ぶより、遠回りかもしれないけどゆっくり鳥さんの気持ちとペースに合わせてあげる。
そうすることで鳥さんとの信頼関係が構築され、カキカキやナデナデができるようになるんじゃないかななんて思います。
※音声が出ますのでご注意ください