どうも、今ちょっと心にぽっかり穴が開いてしまっている羊です。
というのも、里子として新たに我が家の一員になるはずだった鳥さんが、我が家に来る前に亡くなってしまったんです。
これまでの経緯を簡単にお話しします。
9月の中旬頃、ご縁あって4歳のボタンインコさん(名前は「ぼたん」ちゃんです)を里子として私に預けていただくことが決まりました。
お互いのスケジュールの都合で、実際の引き渡しは10月中旬頃ということに決まり、それまでは元の飼い主さんとゆっくり一緒の時間を過ごしてもらうということになりました。
そんな矢先の9月23日、突然飼い主さんから連絡がありました。
「なんとなくぼたんが大人しくて元気がない」
「私の手の中でじっとして動かず、軽く震えている感じもある」
電話越しにそんな状況を聞いて「ちょっとおかしい」と思った私はすぐに車で飼い主さんのもとへ向かい、そこでぼたんちゃんをお預かりし、そのままいつも診てもらっている鳥の専門医さんに連れていきました。
先生はぼたんちゃんを一目見るなり、「痩せてる」「ガリガリ」「状態もかなり悪そう」と言いました。
私はぼたんちゃんを入院させる決断をしました。
その後、専門医さんに電話をしてぼたんちゃんの様子を聞いたり、実際に病院に行ってぼたんちゃんと少しだけ面会させてもらったりました。
でも、先生から聞くぼたんちゃんの状態はいつも「良くなっていない」「低空飛行のまま頑張っている」とのことでした。
飼い主さんも「ぼたんに会いたい」とのことだったので、飼い主さんと一緒に入院しているぼたんちゃんのもとを訪ねたりしました。
飼い主さんがケースの中で目をつぶってじっとしているぼたんちゃんに声をかけると、うっすらと目を開けて飼い主さんの声のする方を探している姿が今でも忘れられません。
「飼い主さんの声、伝わっていましたね」
「きっとぼたんちゃんの力になると思います」
病院の帰り道にそんなことを飼い主さんと話していたのですが、その翌日の9月29日に、専門医さんからぼたんちゃんが亡くなったという連絡を受けました。
「最期にもう一度、飼い主さんに会いたい」という願いが叶って、ぼたんちゃんは安心したのかもしれないなぁ…なんて思いました。
上のお話を読んでいただいてお分かりの通り、ぼたんちゃんは結局、私の家に入ることができませんでした。
それどころか、私は生きているぼたんちゃんに指一本触れることができませんでした。
(亡くなったぼたんちゃんの頭はいっぱい撫でさせてもらいましたけど)
初めて会った日から亡くなるまで、約1週間。
私がぼたんちゃんと一緒にいられた時間は、飼い主さんの家から病院に行くまでの車の中(30分くらい)と、病院で面会した数分だけ。
そんな少しの時間しか時間を共にしていなくて、触れることすら叶わなかったぼたんちゃんですが、それでもぼたんちゃんが亡くなったと聞いて、私は泣きました。
今でもぼたんちゃんのことをちょっと思い出すだけで簡単に泣けてきます。
本当に少しの時間しか一緒にいなかったぼたんちゃんですらこの状態です。
何年もの長い間、一緒に暮らしたうちの鳥共が亡くなったら、私はどうなってしまうんだろうと、今から不安になります。
鳥さんに限らず、犬君でも猫ちゃんでも(っていうか人間も含めて)、お別れのときは必ず来ます。
とても悲しいことですが、これはどうにも避けられないことなのです。
「避けられないのであれば、せめて少しでもその悲しさや辛さを和らげたい」
そう思って、今回ぼたんちゃんを亡くした私がしたことは、「想いを吐き出す」という行為です。
愛していたものが亡くなってしまう。
それってとてつもなくインパクトが大きい出来事です。
一人で受け止めることもできないし、一人で抱え込んでいたら重すぎて潰れてしまいます。
そうしたときに大事なのは、「想いを吐き出す」ということだと思います。
自分だけでは受け止めきれない、抱えきれないものを、「吐き出す」という形で外に逃がして少しでも重荷を軽くすることで、前を向くことができるのではないかと思うのです。
実は、今週公開するブログとして、今読んでいただいている内容とはまったく別のお話を書いていました。
でも、ついぼたんちゃんのことが頭に浮かんで、どうにもブログの文章が書き進められないんです。
「それなら、自分の気持ちに素直になって、ぼたんちゃんのことを書こう」
そう決めて、今、素直にぼたんちゃんにまつわるお話を書かせてもらっています。
こうやって今の気持ちを素直に吐き出すことは、心の重荷を少し減らすことにも繋がるんじゃないかと思います。
ぼたんちゃんが亡くなった次の日に、飼い主さんと都合を合わせて病院にぼたんちゃんの引き取りに行ってきました。
私と合流してから病院に着くまでも、病院に着いて先生と話している間も、飼い主さんはとても気丈に振る舞われていました。
でも、綺麗な箱の中で静かに眠っているぼたんちゃんの顔を見た瞬間から、飼い主さんの気持ちが溢れ出て止まらなくなりました。
「ありがとう! ありがとう!」
「辛かったね、大変だったよね」
「頑張ったね」
「ごめんね」
「もっと一緒に遊びたかったよね」
「元気になりたかったよね」
「羊さんところでみんなと一緒に暮らしたかったよね」
こういった言葉も、ぼたんちゃんへの想いを素直に吐き出した結果なんじゃないかなと思います。
インパクトの大きなことを、黙って一人で受け止めるなんてできないと思うんです。
受けた衝撃が大きい分、少しでも外に出さないと重すぎて潰れてしまうと思うんです。
もちろん、「吐き出せば元気になれる」なんてそんな簡単な話ではありません。
それでも、想いを吐き出すことで、本当に少しだけかもしれないけど、辛い気持ちが和らいでくれるんじゃないかなぁ…と思います。
もう1つ。
吐き出す際には、「いなくなったこと」にスポットを当てるのではなく、「いたこと」にスポットを当ててほしいなって思います。
「もう会えないんだ…」
「寂しいな…」
「悲しいな…」
そう思ってしまう気持ち、痛いほど分かります。
でも、そうではなくて、
「あのとき楽しかったなぁ」
「こんなことあったなぁ」
「いい子だったなぁ」
「困ったイタズラをされたこともあったなぁ」
「幸せだったなぁ」
そんな風な視点で吐き出してみてほしいんです。
愛鳥さんがいたことで得られた幸せ。
愛鳥さんがいたことで過ごせた大切な時間。
言葉では言い表せないほど愛おしく大切な存在が紛れもなく自分のそばにいたということ。
そういったことに感謝したり、幸せだったなぁとしみじみ思ってみたり。
そういった意識で想いを吐き出すことで、少しずつでも前を向きやすくなるんじゃないかと思います。
「そんなことをしたら絶対泣くわ」
確かにそうですよね。
私もその自信があります。
でも泣くという行為も含めて「吐き出す」ということだと思います。
亡くなった子が別の姿で会いに来てくれたときに、それにちゃんと気付けるように、顔を上げて前を向くことは大事なことなんじゃないかと思います。
そのためにも、楽しかった幸せな日々に感謝しながら、そのときの想いを素直に吐き出してみるといいのではないかなと思います。
最後に。
本当に、本当に短い時間だったけど、ぼたんちゃんを想える日々が幸せでした。
少し身体を休めたら、また何かの姿で帰っておいでね。
どこかで会える日を楽しみにしているよ。
※音声が出ますのでご注意ください
もしよかったら、今回のブログを読んでの感想をお寄せください。
コメント