みなさんは哲学者ニーチェの言ったこんな言葉をご存じでしょうか。
『深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』
「急にインテリぶってどうしたんだ?」
そう思われた方もいるかもしれません。(はい、インテリぶってみたかったんです)
今回この言葉を取り上げたのには理由があります。
私は毎日うちの鳥共と暮らしていて、この言葉に似たことをよく思うのです。
それは…
『鳥共を観察するとき、鳥共もまたこちらを観察しているのだ』
…というものです。
鳥共の様子が可愛いので、私は鳥共の様子をケージ越しだったり放鳥中によく見ています。
そこから「気を引きたいときはこの鳴き方をするなぁ」とか「うんこする前に尻尾をフリフリするなぁ」とか、鳥共の行動から鳥共の気持ちを理解することができるようになりました。
それと同じように鳥共も私の行動をよく見ています。
そして、これもまた私がするのとまったく同じように、「飼い主がこの行動をしたということは、この後こうなるよね」という予測をしているように思うのです。
例えば、放鳥タイムが終わるときのことです。
トリちゃんはケージのドアを開けることで、スッとケージ内に帰ってくれます。
これは、「ケージのドアが開いて中に入ると、中でごほうびがもらえる」とトリちゃんが理解しているからです。
トリちゃんは「ドアを開ける」→「中でごほうびをくれる」という飼い主の行動をこれまでの生活の中でちゃんと見て覚えているのです。
マメちゃんの場合、私がマメちゃんのケージの中に手を突っ込んでいると、腕伝いに自らケージに帰っていきます。
これも、「ケージの中に手を突っ込む」→「ケージの奥のお皿にごほうびを置く」という飼い主の行動をマメちゃんがいつも見ていて、「ケージに手を突っ込んでいるときにケージに入るとごほうびがもらえる」ということを理解しているからだと思うのです。
このように、インコさんは「何かの合図」と「その後の結果」を頭の中で紐づけて記憶することができると賢い生き物です。
ただ、やり方によってはこの紐づけが逆効果な形で記憶されてしまうこともあります。
例えば、「放鳥したはいいいけど、なかなかケージに帰ってくれなくて困る」という方、インコさんを無理やり捕まえてケージに戻したりしていませんか?
そういうことをしていると、「飼い主に捕まる」→「ケージに戻される(楽しい時間が終わる)」という紐づけがされてしまいます。
そうなると、捕まらないようにするために余計に逃げ回るようになるというだけでなく、最悪の場合、人の手が嫌いになってしまうこともあります。
冒頭に申しました通り、インコさんは飼い主さんの行動を本当によく見ています。
お互いにお互いの行動をよく観察し、お互いの気持ちを理解しようと努めることで、インコさんも飼い主さんも快適に過ごせるようになると思います。
※音声が出ますのでご注意ください